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クリス・テイラー (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリス・テイラー
クリス・テイラーの画像
プロフィール
リングネーム クリス・テイラー[1]
本名 クリストファー・J・テイラー[2]
ニックネーム 怪童[3]
身長 196cm[1]
体重 197kg[4] - 201kg[1]
誕生日 1950年6月13日[1]
死亡日 (1979-06-29) 1979年6月29日(29歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州の旗 ミシガン州
カス郡ドゥワジャック[2]
スポーツ歴 レスリング[4]
トレーナー ビル・ロビンソン[2]
バーン・ガニア[2]
デビュー 1973年12月8日[1]
引退 1977年[5][6]
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獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 レスリング
1972 男子フリースタイル100kg超級

クリス・テイラーChris Taylor、本名:Christopher J. Taylor1950年6月13日 - 1979年6月29日)は、アメリカ合衆国のレスリング選手、プロレスラーミシガン州ドゥワジャック出身。

1972年ミュンヘンオリンピック男子フリースタイル100kg超級銅メダリスト[7]クリス・テーラーとも表記されていた。

来歴

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アマチュアレスリングではハイスクール時代の3年間で60戦中58勝2敗、アイオワ州立大学では2年間で88戦中87勝0敗1引き分けという戦績を残す[4]1972年ミュンヘンオリンピックでは、フリースタイルの100kg超級で銅メダルを獲得[7]。同大会では、ローラン・ボックの終生のライバルとされるウィルフレッド・ディートリッヒ英語版とも、グレコローマンとフリーの両スタイルで対戦[8]。グレコローマンではディートリッヒにスープレックスで投げられ敗退したが、フリーでは判定で勝利を収めた[8][5]

その実績をやはりオリンピック出身のバーン・ガニアに見込まれ、同じくミュンヘン五輪に重量挙げで出場していたケン・パテラと共にスカウトされてAWAと契約[5]1973年12月8日、ミネソタ州ミネアポリスにてレネ・グレイを相手にデビュー[9]。同月には若手時代のリック・フレアーとも連戦した[9]

1974年は、1月18日にシカゴのインターナショナル・アンフィシアターにて同じくオリンピック出場経験を持つマッドドッグ・バションと対戦[10]。以降もベビーフェイスの大型新人として、ムース・モロウスキージミー・バリアントバロン・フォン・ラシクレイ・スティーブンスラリー・ハイニエミバディ・ウォルフオックス・ベーカースーパースター・ビリー・グラハムなど、さまざまなタイプのヒールと対戦してキャリアを積んだ[10][11][12][13]

1975年アンドレ・ザ・ジャイアントダスティ・ローデスともイワン・プトスキーを交えた6人タッグマッチでトリオを組み[14][15]、また当時AWAに参戦していたキム・ドクとも度々対戦[16]フロリダエディ・グラハム主宰のCWF)、ジョージアジム・バーネット主宰のGCW)、カンザスシティボブ・ガイゲル主宰のCSW)、ノースカロライナジム・クロケット・ジュニア主宰のMACW)などNWAの主要テリトリーにも出場しており、フロリダではボブ・ループ[17]、ジョージアではアブドーラ・ザ・ブッチャーとのシングルマッチが実現した[18]

1976年ニューヨークWWWFにも登場し、3月29日のマディソン・スクエア・ガーデンにおける定期戦でバロン・シクルナに勝利[19][20]。本拠地のAWAでは、4月から5月にかけてニック・ボックウィンクルAWA世界ヘビー級王座に再三挑戦した[21]。9月から10月にかけては当時の西ドイツにも遠征、ホースト・ホフマンオットー・ワンツをはじめ、新日本プロレスから海外修行に出ていた小沢正志藤原喜明とも対戦した(小沢と藤原の2人を相手のハンディキャップ・マッチも行われている)[22]

同年11月、全日本プロレスの『スーパー・パワー・シリーズ』に、テイラーをコーチしたビル・ロビンソンと共に後半戦特別参加で来日。12月2日の川崎市体育館にて、ジャンボ鶴田試練の十番勝負第7戦の相手を務めたが、1-1のタイスコアの後、場外でジャンピング・ボディ・プレスを自爆してリングアウト負けを喫した[4][23]。来日中はブッチャーと組んで、ジャイアント馬場&ザ・デストロイヤーともタッグマッチで対戦している(ロビンソンをパートナーに、ブッチャー&レオ・バークとの対戦も実現)[23]

1977年に体調を崩し引退を余儀なくされ[5][6]1979年6月29日狭心症で死去[4]。29歳没。

得意技

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脚注

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  1. ^ a b c d e The World's Largest Wrestling Database”. Wrestlingdata.com. 2013年8月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Wrestler Datenbank : Chris Taylor”. Cagematch.net. 2013年8月18日閲覧。
  3. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P273(1996年、日本スポーツ出版社
  4. ^ a b c d e 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P57(2002年、日本スポーツ出版社)
  5. ^ a b c d e Chris Taylor: The giant Olympian”. SLAM! Sports (Sep. 26, 2000). 2013年8月19日閲覧。
  6. ^ a b Wrestler Profiles: Chris Taylor”. Online World of Wrestling.com. 2013年8月18日閲覧。
  7. ^ a b Super-Heavyweight, Freestyle (>100 kilograms), Men”. Olympedia. 2023年11月16日閲覧。
  8. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.23』 P80(2012年、辰巳出版ISBN 4777810054
  9. ^ a b The AWA matches fought by Chris Taylor in 1973”. Wrestlingdata.com. 2013年8月19日閲覧。
  10. ^ a b The AWA matches fought by Chris Taylor in 1974 (1)”. Wrestlingdata.com. 2013年8月19日閲覧。
  11. ^ The AWA matches fought by Chris Taylor in 1974 (2)”. Wrestlingdata.com. 2013年8月19日閲覧。
  12. ^ The AWA matches fought by Chris Taylor in 1974 (3)”. Wrestlingdata.com. 2013年8月19日閲覧。
  13. ^ The AWA matches fought by Chris Taylor in 1974 (4)”. Wrestlingdata.com. 2013年8月19日閲覧。
  14. ^ André the Giant, Chris Taylor and Ivan Putski”. Wrestlingdata.com. 2013年8月18日閲覧。
  15. ^ Chris Taylor, Ivan Putski and Dusty Rhodes”. Wrestlingdata.com. 2013年8月18日閲覧。
  16. ^ Chris Taylor vs. Kim Duk”. Wrestlingdata.com. 2018年11月22日閲覧。
  17. ^ The CWF matches fought by Chris Taylor in 1975”. Wrestlingdata.com. 2018年11月22日閲覧。
  18. ^ The GCW matches fought by Chris Taylor in 1975”. Wrestlingdata.com. 2018年11月22日閲覧。
  19. ^ The WWE match fought by Chris Taylor in 1976”. Wrestlingdata.com. 2013年8月19日閲覧。
  20. ^ WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2013年8月19日閲覧。
  21. ^ The Records of AWA World Heavyweight Championship Matches 1976”. Wrestling-Titles.com. 2018年11月22日閲覧。
  22. ^ The IBV matches fought by Chris Taylor in 1976”. Wrestlingdata.com. 2018年10月7日閲覧。
  23. ^ a b Matches « Chris Taylor « Wrestlers Database « CAGEMATCH”. Cagematch.net. 2013年8月18日閲覧。

外部リンク

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